ガンバはアラーノ選手が引退ということでなんか寂しいのですけど、キングカズはまだ現役続行ということで12月はいろいろ選手移籍や引退シーズンです。
引退に関してビジネスでの心構えを前に書きました「立つ鳥後を濁さないどころか、ピカピカにしたい」
「立つ鳥跡を濁さず」
ことわざですが、立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め、という言葉です。
サッカーでもオリンピックやワールドカップなどで負けたチームが立ち去るときにロッカールームをきれいにして、負けたチームに対して「幸運あれ」などの言葉を残したりというようなスポーツマンシップにのっとったことがよくニュースになっていますが、去り行くときに汚くしていくよりもきれいにしてあとに残したいという純粋な気持ちのものだと思います。
勝負の世界なのでワールドカップでも最後まで残るは1チームだけ、なのでなるべくグッドルーザーになるべきで、だからこそ次の試合では勝つぞを気合が入りますし勝負の世界にはたらればはないので、負けたときは悔しがって泣いて次の試合や練習に打ち込む、のが最も美しいですし何もスポーツやサッカーだけに限らず大事かと。
まさに、「立つ鳥跡を濁さず」

ただただ。
この話はビジネスだけでなくてどんな場所でもあてはまっていて、今になってわかるのはやっぱり何ごとも「終わりよければすべてよし」精神を持たないといけない気がすることです。
バイト経験を積んだりサークル活動したり、もちろん仕事も就職や退職経験積んだり経営者の会などに参加した際でもそうですが、ほんとに頑張ってくれたのに終わり際の行動で評価が大暴落することがあるなというのが結構あるのです。高校生とか大学生とかなら3年とか4年とか卒業も決まってるので終わりをしっかりして後輩に託す、これはいいのですけど、仕事なのでミスを重ねたり処罰されたり評価されなかったりなどで感情的になることは十分わかるものの、仕事の契約なので最後の日までしっかり全うするのがプロの仕事、お金もらう以上金額の大小関係なく当然とは思います。
これバイトでも正社員でも当たり前のことなのですけど、サッカーや野球のプロ世界でもそうでないこともあるらしく契約期間内でもプロなのに体調不良で休むとか、練習をさぼるとか遅刻増えるとか、チームの悪評とか悪いところを言い始めるとか、ファンのイベントやスポンサー挨拶をすっぽかすとか、そういうのがあるそうです。(もちろん伝聞です)ただ巨人の某選手なんかそんな感じの雰囲気がモニタ越しから感じるので、何かわかるわあというのはあります。
しかし、腹立つ気持ちもあるものの微塵も出さずに最後の最後までチームに尽くす選手もいるそうで、これもすごくわかりますし、人間を知らないおぼこい幼い人間なので「最後までやるのが当たり前でしょう」精神が、結構真面目でレアに感じるというのが世間の感触だったのを、最近うすうす感じました。どれだけお花畑なんだ精神ですが、まあ人との違いは気付かないものです。
サッカー選手や野球選手では単年契約なので、去ってしまうチームに貢献しても意味ないとは思いますが人のうわさはついてきますし、スタッフは最後の最後まで見ていて感じてるのが当然で「あの選手は人間性がちょっと微妙」と感じればそれは次のチームから事前にヒアリング受けた際にも「人間性は微妙ですね」言うのが人間なので、20代で代表とか選手はよしとしても30代でベテラン選手はそういう部分が人生において大きく陰を落とす部分、と40代になればわかったりもします。
社会人でも退職決まった途端に明らかにやる気なくしたり、遅刻や欠勤増えたり態度変えたりする人は多く見てきたので感じるのは「あとちょっとだけを3倍頑張れ」です。
去り際は大事で最初から遅刻も欠勤も多いのなら仕方ないにしろ、そうでなかったのならラスト1ヶ月を気合入れるだけで評価が全く変わったりするものなので、今まで頑張ったのならラスト10分をさらに全力で尽くすのがベスト、と思います。経営していると口八丁手八丁だった退職社員も、後足で砂をかけてった社員も覚えていますがそれ以上に、最後の最後までしっかり頑張ってくれた社員もしっかり覚えています。
ちょっと悪いかなとか思いながら、御礼にお歳暮など送ったりしますが丁寧に御礼返ってきたりするので、またしんどくなったときにいつでも返ってきて欲しいと思う関係、であってほしいですしこういうのは口で説明しても通じない部分でもあったりします。転職多くなるとドライに派遣社員か業務委託のように人間関係希薄に行動しようとするのは仕方ないのですが、転職する人や退職する人は少しでも頭に入れておくといいような気がします。相対的に退職日決まった後にさらに一所懸命やる人は少ないからこそ、頑張ればいいのにと思う派です。平常時の1.5倍気合入れる、遅刻欠席早退はしない、朝早めに会社来る、「そんなの意味ないよ」と思う人とはあわないのですけど、自分自身は給料やお金をもらった以上仕えているので「一宿一飯の主」のために精一杯やるのは当たり前なのです。