三十三間堂(蓮華王院)自体が後白河法皇が作ったので、その前にある法住寺も後白河法皇、お墓もすぐ近くに後白河法皇です。
新日吉神社も新熊野神社も後白河法皇が作ったので七条駅のこの辺周辺は後白河法皇エリアといっても過言ではありません、なんで熊野詣に後白河法皇ははまってたのかなんかはいろんな諸説あるんですけど、魅力を感じていたことには間違いありません。
後白河天皇は、日本の第77代天皇。諱は雅仁。 鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟の近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年院政を行った。保元の乱、平治の乱、治承・寿永の乱の時代を生き、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立で幽閉・院政停止に追い込まれては復権した。
後白河天皇が源義経と頼朝を対立させたフィクサー、と描かれていたり、以仁王という息子が殺されているけどその後も平家と仲良くしつつも敵になりつつと、どうも歴史の中心で活躍されていて魅力を感じてなりません、65歳で鎌倉幕府ができたときに亡くなっています。熊野詣を流行らせた張本人なのでありがたやなのですが、なかなかのご立派な方なので、もう少し軌跡を追いたいと思います。