石堂の名の由来は、石砥(いしと)で、この辺りで砥石を産していたことによるものです。
石堂茶屋跡にも母と子の歌「歩まねば 供養ならずと 亡き母の のたまいていし 雲取に来ぬ」嶋正史の歌碑があります。






東屋の休憩所が建つ石堂茶屋跡ですが、江戸時代は茶屋が2軒あり、近くで砥石となる石が採れたため「石砥茶屋」とも呼ばれていたそうです。
「吊り天井の仕掛けで旅人を殺害して金品を奪った」「百間ぐらあたりで盗賊に襲わせ崖下に突き落とした」という物騒な話も伝わりますが、繁盛する石堂茶屋に嫉妬した同業者が流した風評だったとかとか、とかとか。
石堂茶屋跡はちなみに、
和歌山県田辺市本宮町皆瀬川、田辺市なのです!ヘー。