熊野古道はどこからスタートしたのかというと、城南宮です。
近鉄と地下鉄の竹田駅から徒歩15分くらい、1号線沿いの横綱ラーメンのちょっといったところにありますが、今の今まで気付きませんでした。阪神高速京都線ででっかい京セラさんビルが見えて城南宮ICあるのは知ってましたがあのへんです。
城南宮は平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、平安後期、周囲に白河上皇が院政の拠点として城南離宮(鳥羽離宮)を造営されました。歴代上皇らによって盛んに行われた熊野御幸では、この場所で身を清めて道中の無事を祈願し、熊野まで片道約300キロの旅に出たそうです。鳥羽離宮の鎮守の神として厚く崇敬され、今でも旅行や引越安全の方除の大社として信仰を集めています。
車のお祓い場所が大きいです、寝屋川の成田山くらいの敷地があります。
熊野古道20周年記念で動画もあります。なんか終わりの方は身近なのですがいざ始まりの場所に来ると、これもこれでなんか感激です。令和の熊野詣看板も新調された感じです。
さすが紀伊民報さん、しっかり動画あります。
ちなみに、城南宮から当時は淀川あたりにでて船で大阪の天満橋、八軒屋まで行ったようなイメージなのですが、途中に石清水八幡宮に寄ったり、八軒屋後は四天王寺さんや住吉大社さんにも立ち寄ったそうです。もちろん闘鶏神社も。
鳥羽離宮跡 (とばりきゅうあと) 南区・伏見区
鳥羽離宮は白河天皇 (1053~1129) が創建した譲位後の御所です。
南西約1.7km、南北約1.1kmに及び、 現在の京都市南区上鳥羽、伏見区竹田・中島・下鳥羽(しもとば) 一帯にありました。その北東端が竹田駅の南付近に当ります。大きな池が広がり、南殿・北殿・馬場殿・ 泉殿東殿田中殿などの御所に加えて、御堂、諸施設、貴族の邸宅人々の家が建ち並び、政治、流通・ 文化の中心となり、御所は1300年頃まで用いられました。そして、白河天皇、孫の鳥羽天皇、曾孫の近衛天皇の御陵は、東殿に建立された安楽寿院や北向山不動院馬場殿を伴った城南宮と共に、今なお縁をたたえています。また西行ゆかりの西行寺跡が伝わり、 南殿の地は公園になっています。 1868年1月3日この鳥羽の地で鳥羽伏見の戦いが起き明治時代を迎えました。 昭和38(1963)年の名神高速道路京都南インターチェンジ建設以後、附近一帯の景観は一変しました。
城南宮は平安京ができる時に、国の守護と都の安泰を願って創建されました。そして様々な災いを除けてくださる方除の神様と崇められ、新年はもとより年度初めや人生の節目となる大切な時に、また新しい事業や企画を始める前に全国各地から多くの方がご祈祷を受けにお越しになっています。
城南宮で行っているご祈祷
・安寧祈願 (国家安泰、国際平和・疫病退散)
・新年祈祷 (令和七年の方除 家内安全、無病息災、人間関係の円満)
・方除祈願(家相の気掛かり・鬼門や裏鬼門の心配を除く方除)
・安全祈願 (新築や増改築工事・引越・通勤・通学・旅行・交通の安全)
・健康祈願(無病息災、心身健康、病気平癒、健康快復手術成功)
・発展祈願(会社繁栄、 社内安全、商売繁昌、事業成功、仕事順調)
・願望成就(試験合格、学業成就、必勝祈願、的中祈願 心願成就)
・成長祈願(お宮参り、一才の誕生日を祝う初誕生参り、七五三参り)
厄除祈願(厄年回年・還暦・古希・喜寿・米寿等節目の年を迎えて無事を祈る)
り御礼のご祈祷(神恩感謝、厄明御礼、完成御礼、平癒御礼、合格御礼)ずっと安心、毎朝あなたの願いをご祈願します
城南宮のご祈祷は、日数を重ねて神様に願を掛ける特別なご祈祷です。 ご祈祷を申し込まれた 日に「御礼・太玉串・神饌」をお授けします。 残りの期間は毎朝ご本殿で祝詞を奏上します。