九十九王子の五体王子のひとつ、海南の藤白王子です。
残り五体王子ですが、「藤代王子」「切目王子」「稲葉根王子」「滝尻王子」「発心門王子」となっておりまして、駅で言えば新幹線で言えばのぞみが止まる駅くらいの重要度と庶民的理解をしておりますので、藤代王子は言ってみれば名古屋、京都、新横浜、くらいと理解すればいいかと思います。近くに祓戸王子があって、祓戸王子は熊野本宮大社のすぐ近くにあるのですが、同じく藤白王子の近くにあるのである意味、ここから熊野に入るぞという入口的なところだたそうです。
そんなわけで宿屋があったり飲み屋もあったりと、当時は熊野詣の宿場的な町があったようです。
後鳥羽上皇(法皇)は、延べ29回にわたる熊野御幸の際には必ず藤白王子に宿泊。道中の安全を祈願し、さまざまな法楽を催したといわれています。
平安末期に熊野から移り住んだ鈴木氏が全国に熊野信仰を広める拠点としたところでして、鈴木さんたちが集まったりしています。鈴木さんは熊野聖だったようです。