毎年7月24日、25日は和歌山三大祭の田辺祭ですが、その田辺祭での片町の笠鉾は模様にやたがらすが描かれています。名前は描いてないですが足が三本なのでこれは八咫烏なんです。
ここは旧会津橋での「七度半の使い・潮垢離勤め」で8つある笠鉾がここで潮垢離勤めを行い町をお笠がまわっていきます。この後本町、江川の恵比寿と大黒、福路町、と順番に進んでいって、夕方に神社前に曳き揃い、午後7時30分頃から宮入りとなります。
神功皇后(息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと))は仲哀天皇の皇后で、熊襲征伐中に亡くなった天皇に代わり、熊襲と連繋しているらしい新羅を討伐するため、懐妊中であるのにかかわらず、朝鮮半島へ渡ったといわれています。遠征後に応神天皇を出産したとされています(古事記)。神宮皇后は本祭(25日)に飾られます。
宵宮の24日は関羽、ですのでしっかりお着換えされています。神宮皇后なので神のお導きもあって八咫烏になったのでしょうか。
笠鉾巡行の行列は、鬼1人、先囃子の子供、太鼓3人、笛3人、世話役数人、警固4~15人、笠曳き9~20数人、高張提灯持ち10人程度という構成になります。
七度半の使いでは、時おりカブのったおじさんかおばちゃんが橋に走りこんでしまう珍事件が発生するらしく、困りますね~はははとか言ってたら、ほんとに去年はそのような事件があっておばちゃん強制撤収受けていましたが、今年は無事滞りなく終えることができました。
ちなみに七度半の使いですが、
会津橋東詰の本町より、向かいの西詰の江川町に使者が出発の願いを伝えるために、橋を渡ります。
これを七度繰り返し、八度目で江川町も出発し、橋の中央で両者が出会います。
今でも格言で三顧の礼をもって迎えるなど言いますが、一回お願いしてホイホイ聞くわけでなく7度半頭を下げてようやく来ていただくという、由緒ある儀式です。
ただ脳内で勝手に「おい礒野野球しようぜ」と中島が言うものの、「悪い中島、今宿題中なんだ」「悪い中島、今家の留守番なんだ」「悪い中島、イクラちゃんの世話してるんだ」と何度も誘う中島君くらいに変換されてしまっていると、戻ってくる時も神妙な感じでなくまたあとで誘おう、と見えてくる偏見がぬけません。