陰陽師安倍晴明(921~1005)の話です。
平安中期の寛和2年(986)、第65代天皇として在位僅か2年で退位された花山天皇は、出家されたのち永延2年 (988) 那智の滝の上流にある二の滝近くに庵を結び千日修行をされました。
その修行中、天狗をはじめ多くの悪霊の妨害に遭われたため、京より陰陽師「安倍晴明」を召されたそうで、そこに駆けつけた晴明は、「多数の魔類を岩屋に祀って諭し、その後魔類は怠慢な行者を叱咤する存在に変わった」との逸話が14世紀に成立した 「源平盛衰記』 に収められています。
また「那智山瀧本事」には花山院の命を受け北斗七星を勧請したとの記述があります。 熊野那智大社宝物殿には、晴明が居住した庵の跡地に建てられたとされる「晴明堂」と「晴明橋」が描かれた絵図が数点所蔵されているほか、大門坂を上がりきった付近に晴明橋の一部が残っています。京都には晴明神社がありますし、阿倍野には安倍晴明神社があったりもします。
陰陽師とは、公的占術を行う技能官僚で任務は占筮天文暦数相地などの知識を駆使して吉凶災福を察知し、その対処のための呪術を行うことでした。
卓越した知識、 才をもつ安倍晴明は陰陽師の代名詞になっています。那智山青岸渡寺は花山法皇ゆかりの名刹です。
安倍晴明と花山法皇は同じ世代なので、接点があり関りが多かったようです。